昔々、仏向村(ぶっこうむら)に浅間宝寺(せんげんほうじ)という寺がありました。
戦国時代、落人をかくまったという罪で、寺は焼き討ちにあいました。そのとき、寺の守り神であった牛頭天王(ごずてんのう)は、みずから帷子川(かたびらがわ)飛び込んで難を逃れました。やがて、帷子橋付近まで流れ着いたとき、ちょうど通りかかった三人の村人が水中に光るものを見つけて引き上げました。その夜、三人は同じ夢を見ました。

  「われは牛頭天王なり このところにまつりなさい」と。

そこで氏神様としてお社を建てたのですが、拝もうとするとご神体から光がさして拝むことができず、無理に拝もうとすれば打ち倒されてしまうものですから、ご神体を後ろ向きに安置することになりました。
それ以来、天王様にお参りするときは、正面からだけではなく、背後からも拝む習慣ができたそうです。(明治時代になって牛頭天王社は橘樹神社と改称しました)

実は、浅間宝寺が焼き討ちにあったとき、川に飛び込んだのは牛頭天王だけではありませんでした。 薬師如来もまた飛び込んだのです。その仏像は、後に遍照寺(へんじょうじ・月見台)のご本尊になりました。薬師如来像は、平成7年に横浜市有形文化財の指定を受けました。

ちなみに、神明社の神様・天照大御神は、天空を飛んでやって来たそうです。
   → 「飛神明(とびしんめい)」と呼ばれています。


牛頭天王社:現在の橘樹神社          遍照寺の薬師如来像